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イベント情報

各発表の要点

1.マイワシ対馬暖流系群の資源状態と資源変動要因

田中寛繁(西海区水産研究所)

    ①日本海から九州西岸・東シナ海にかけて分布するマイワシ(対馬暖流系群)の資源量は1990年代に急減し、2000年代前半には極めて低い水準にあったが、近年は増加傾向にある。
    ②2011年は鳥取県境港を中心に3万トンを上回る程度(暫定値)の漁獲があった。この漁獲を支えた中心は2010年生まれの1歳魚(2010年級群)であり、近年の中では極めて加入豊度が高い年級群であると考えられる。
    ③対馬暖流域におけるマイワシの資源変動要因としては、海洋環境変動としてMOI(Monsoon Index、季節風の指標値)やAO(Arctic oscillation、北極振動)との関係が指摘されている。概して冬~春季の環境が寒冷である年には再生産成功率(RPS、Recruitment per spawning stock biomass)が高い傾向が認められる。
    ④2010年級群の発生要因として、上記のような環境要因のほか、産卵量の増加などが考えられるが、詳細は今後検討していく必要がある。

    1.講演資料はこちら【PDF 795KB】

2.1980年代以降の日本海におけるマイワシの産卵状況と今後の産卵量算出方法

後藤常夫(日本海区水産研究所)

    ①1979年から2010年までの日本海におけるマイワシを中心としたイワシ類の産卵状況について、産卵量を指標に示した。
    ②マイワシの場合、資源増加期に当たる1980年代前半までは、主産卵期がはじめ日本海南西部において3月に、その後資源極大期に向けて5月に移行した。1990年代の資源減少期には、日本海内での産卵量が増加し、産卵期は南西部で4月、北部で5~6月であった。資源減少後の低水準期の産卵は、4~6月に散発的に見られた。
    ③カタクチイワシの産卵は、マイワシの資源増加・極大期には、低いレベルで推移した。その後マイワシの資源減少期に増加し、マイワシの資源低水準期には、2~3年に一度高いピークが出現した。
    ④ウルメイワシの産卵は、マイワシの資源増加期には、低いレベルで推移した。マイワシの資源極大~減少期には、マイワシ同様、日本海内で増加後、減少した。マイワシの資源低水準期には減少したものの、2003年以降は、マイワシの資源増加期に見られた低いレベルを上回った。
    ⑤従来の産卵量と卵稚仔データベースで算出された産卵量を比較した結果、上記3種のイワシ類の両数値は概ね類似の変動傾向を示した。したがって、2012年度の資源評価からイワシ類の産卵量として卵稚仔データベースの産卵量(2002年以降)を採用する予定である。

    2.講演資料はこちら【PDF 475KB】

3.いわし類資源変動要因としての餌料環境 ~過去のプランクトンデータ・試料の限界と今後展開~

森本晴之(日本海区水産研究所)

    ①マイワシは水温変動によってその現存量や種組成が大きく変動するプランクトンを餌料とすることから、資源変動機構を海洋生態系と地球規模的環境変動との関係から解明する課題が重要となっている。
    ②かつてのマイワシ資源増加期(1970年代~1980年代初め)の日本海における動物プランクトン現存量の経年変動の検討例は2例(広田・長谷川 1997、南ら 1999)あり、現存量の指標として目合0.33mmのネットで採集された全動物プランクトンの合計湿重量が用いられた。
    ③全動物プランクトンの合計湿重量の餌料環境としての指標性について、能登半島周辺海域で目合0.33mmの改良型ノルパックネットで採集した動物プランクトンの動物群別湿重量データを検討したところ、いわし類成魚の主要な餌生物であるカイアシ類の湿重量の経年変動が合計湿重量の変動と大きく異なり、全動物プランクトン合計湿重量はいわし類の餌料環境変動としての指標性が低いことが伺えた。
    ④採集ネットの目合の大きさによるカイアシ類の種組成の差異を調べるため、目合0.33mmと0.10mmのネットによる同時採集試料を比較ところ、0.33mm試料は0.10mm試料に比べてキクロプス目・ハルパクチクス目カイアシ類の割合が低く、0.33mmネットではサイズが比較的小さな両目カイアシ類が採集されにくかった。
    ⑤ポエキロストム目・カラヌス目カイアシ類は0.33mmネットで採集されたものの、それぞれオンケア科、パラカラヌス科カイアシ類の個体数は0.10mmネットに比べて著しく少なく、特にこれらカイアシ類はマイワシ、カタクチイワシ成魚の重要な餌生物であることから、0.33mmネット試料はいわし類成魚の餌料環境指標として相応しくないことが伺えた。

    3.講演資料はこちら【PDF 327KB】

4.1970年代から1980年代初めにかけての各地先の漁況、現場の状況

      1)西部日本海のマイワシ資源を振り返って―改めてその巨大さを考える―

      増田紳哉(鳥取県水産試験場)

      ①20世紀においてはマイワシ資源高水準期は2度あり、第1次期は1935年頃を、第2次は1985年頃を中心に見られ、間隔は約50年となっている。
      ②第2次高水準期における境漁港におけるマイワシの年間水揚量は、1989年には約53.5万トンを記録したが、1995年以降急減し、2002年には水揚0トンと底を打ち、その後は数千トンレベルで低調に推移してきた。
      ③しかし、2010年5月には生殖腺が発達した産卵親魚(大羽)が少数ながらまとまって水揚げされ、翌2011年の春から初夏にかけて1歳魚を中心に近年にない多量の水揚が行われ、年間水揚量は約2.8万トンに達し、1999年以降実に12年振りに1万トンを越え、マイワシ資源の回復が期待されている。
      ④水揚量から見るとマイワシ資源の増減には海区により差があり、対馬暖流域では太平洋に比べ増加開始時期は2,3年遅く、増加速度も緩やかで、特に境漁港では立ち上がりが遅く、水揚ピーク時の変動幅が少なく、その期間も比較的長いのが特徴であった。
      ⑤マイワシ資源は、莫大な水揚量をもたらすが、水揚高水準期間は15年程度と短く、マイワシ利用者にとっては短期間に資本の投入と回収、利益の確保等高度の経営戦略が求められる。
      ⑥対馬暖流域では漁獲の対象は産卵親魚であり、漁期は晩秋から初夏にかけてで、盛漁期は資源水準により変化し、盛漁期をモニターすることにより資源水準を大まかに予測することができる。
      ⑦1980年代後半から1990年代前半にかけての豊漁は巨大な卓越年級群であった1987年級によりもたらされ、7年連続して同一年級群を漁獲し続けた。
      ⑧対馬暖流域のマイワシ資源変動機構については、卵稚仔の補給過程はもちろん、若齢魚(特に1歳魚)の加入と対馬暖流との関係等は未解明で、変動機構についての知見の整理、統一はほとんど行われておらず、変動仮説を構築し、調査船によるモニタリングで検証をおこなっている太平洋域に比べると調査研究は大きく出遅れている。
      ⑨対馬暖流域でマイワシ資源の変動を引き起こす要因は何か、要因は何により引き起こされ、何をどのような方法でモニターすれば良いのか、早急に検討チームを結成し調査体制を確立し実行する必要がある。
      ⑩特に先の資源回復期において調査研究がほとんど行われていないので、資源回復の兆しが見られ始めた今こそ、九州西岸域から日本海域の水産試験研究機関が連携して、調査船を用いた海上調査に重点をおいた調査研究が求められている。

      1)講演資料はこちら【PDF 2424KB】

      2)日本海中部海域におけるマイワシ資源 ―増加期における漁況の特徴―

      安達辰典(福井県水産試験場)

      ①マイワシ資源は昔から大規模な増減を繰り返しており、近年では1930年代と1980年代に豊漁期となった。そこで、今後の増加期における調査の参考となるよう、直近の豊漁期である1970~80年代の福井県における漁況の特徴を整理した。
      ②福井県のマイワシ、マアジ、サバ類漁獲量の1957年~2003年における経年変化は、3種ともに全国の変動と同じ変動を示した。ただし、マイワシ漁獲のピークは全国および日本海西区と一致しなかった。これは、市場の受け入れ体制により漁獲を制限した影響もある。また3種の変動には明確な魚種交代現象が認められた。
      ③いくつかの回遊性の魚種について日本海西部海域のマイワシ漁獲量が減少に転じた1989年をキーに検討してみた。カタクチイワシ、ブリ類、ケンサキイカには、マイワシの変化とは対照的な関係が認められた。トラフグについてもマイワシと同様の増減傾向がみられた。
      ④福井県の地先の年間最低水温は1985年~1989年にかけて順次高くなり、1989年がターニングポイントとなっていた。福井県地先のプランクトン湿重量の経年変化は顕著とは言えないが、3~5月について1989年以降は増加傾向が伺われた。
      ⑤マイワシ資源変動機構には多くの仮説が提唱されている。これらの仮説の検証につながる海洋環境・餌料環境・マイワシを含む仔稚魚の分布や成長・捕食状況などの調査を西海区と連携したプロジェクトチームで広範囲に展開していくことが必要と考える。

      2)講演資料はこちら【PDF 386KB】

      3)少し昔の北部日本海のマイワシ漁と山形県の漁業

      佐藤 洋(山形県水産試験場)

      ①1950年前後の豊漁期は、戦後の食料不足の時代であり、4、5月のいわし流し網漁業で1年の生計が立つほどで浜は湧いた。
      ②1980年前後の豊漁期は、鮮度低下が早く単価が安いため沿岸漁業者にはあまり歓迎されなかった。
      ③戦後のマイワシ豊漁期のかげりが見え始めた頃、本県の漁業者により、さけます流し網漁業が開拓され日本海のドル箱漁業として石川県以北に広まった。
      ④高度成長時代から200海里経済水域時代へと水産業を取り巻く環境が大きく変化し、また、漁船の装備や性能も格段に進歩し漁獲圧も高まった。
      ⑤1981年春には山形県沖合でマイワシの大量斃死が発生し、底びき網漁業等の操業に支障をきたした。
      ⑥1984年冬の酒田港が氷るほどの寒さは、沿岸、沖合海域のさまざまな魚種に卓越年級群をもたらした。
      ⑦「世界人口が70億人を突破し、飢餓人口40億人を救えるのはイワシしかなく、今から大量の漁獲物を冷凍・加工できる体制を作り世界の食料危機を乗り越えよう」と提言する。

      3)講演資料はこちら【PDF 260KB】

5.マイワシ太平洋系群の加入量変動に関わる仮説と調査設計

西田 宏 (中央水産研究所)

    ①資源の低水準期にあっても0歳魚は北西太平洋の広域に分布する。近年、加入量は増加傾向にある(沿岸加入2008年級群、沖合での豊度も高かった2009、2010年級群)。
    ②加入量水準は稚魚期には概ね定まっている。それは仔稚魚期における成長速度と関係づけられる。成長速度は経験水温と関係づけられ、カタクチイワシとの最適水温の差が魚種交替を説明する有力な仮説になっている。
    ③1980年代末からの資源の急速な減少は、黒潮続流域の混合層深度の浅化により引き起こされ、それは、太平洋東方の気象の影響が数年経て伝播した影響を受けていると考えられている。また、加入量が急速に減少する一方で産卵海域の拡大傾向が続き、加入に至る環境条件としては不適な年が継続したと考えられる。
    ④2000年代前半のごく低水準期においては、黒潮親潮移行域で採集される稚魚が小型で、その間の続流が安定的に流去しており、これらの複合的な影響による加入の低迷も考えられる。

    5.講演資料はこちら【PDF 862KB】